ママーママー、おかーさん、おかーさーーーん!
「もう、うるさーい!」って思う時ありませんか?
「お母さん!」「お母さん!」「お母さん!」
お母さんって呼ばれるのたまにしんどい件について、夫婦で話してみました。
「お母さんと呼ばないで」夫婦で親の呼ばせ方について話してみた
ポニョの主人公の男の子、そうすけくんが、お母さんを下の名前で呼んでて、あれはどうなんだ?っていうプチ炎上が起こったよね
あれの方が社会問題だったね。社会問題というか社会現象。
「お母さん!お母さん!お母さん!」って呼ばれると、なんか疲れるんだよね。
もうお母さんじゃなくて、名前で呼んでもらった方が、友達同士みたいに子供と過ごせるんじゃないかなって思ったんだけど
頑張んなきゃいけない、いいお母さんじゃなきゃいけない、みたいなのが頭にあってたまに辛くなるんだよね。
多分それって、自分で【理想のお母さん像を作ってるから】なんだろうと、今話しててそう思うね
理想のお母さんじゃない自分をいつもダメ出ししていた感じなのかも。
っていうのは「お母さん」と呼ばれて、全然疲れない人も一定数いるわけだよね。
その人は、お母さんっていう、まぁ役割の名前で呼ばれてはいるけど、それは疲れる役割じゃないからどれだけ呼ばれても何も感じない

女性がお母さんって呼ばれるのも、それって役割で呼ばれてるだけだから、課長部長と呼ばれてるのと何も変わらなくてその意味では、◯◯くんのお母さんていうのは、なんの重しでもない。
何かを縛るものではないんだけど、そのお母さんっていう役割に押し付けられた社会的な何かに引っかかりを感じて、◯◯くんお母さんと呼ばれるのが嫌っていう意見そうなんじゃないかって言ってて
これに答えなきゃいけないと思ったら、それは重そうだよね
「お母さん」として、何を負担に感じているのか
●すぐに駆けつけなきゃいけない。
●いつも笑顔で、子供に優しく接しなければいけない。
●子供の理不尽な発言にも我慢して、対応しなければいけない。
みたいなかんじかな。
前はもっと自分を縛ってた気がする。自分が、あんなお母さんが良かったとか、こんなお母さんだったらとか、そうゆうのが強かったんだろうと思う
子供が小さいうちは、もう子供の事だけしか考えてなかった。考えれなかったよね。でもそれでよかったと思うけど
実際に、子供に名前で呼んでもらうことを試してみた
だからその場だけで終わったんだけど、大きくなった時に、子供自身が、私の事を名前で読み呼び始めることがあるかもしれないよね。むしろそれが早い方がいいなって思うんだけど。自然な流れで。
「お母さん」じゃなくて、名前で呼ばれることで、一人の人間と一人の人間、みたいな感じになる気がする。自然に移行できるのが私は理想かなって今思ってる。
一人の人間として見てる見てないとかじゃない問題もある気がする。何なのかはよくわかんないんだけど
今、実際私は母親のことを、◯◯さんって呼んでるんだよね。
弟は◯◯ちゃんってちゃん付けしてる。笑
できれば、やっぱり私もお母さんって呼ばれるの早く卒業したいなって思う。
自分が死ぬまでずっとお母さんでいなきゃいけないのかな?
母さん卒業デーとかないわけ?
お母さんって、いつまで「お母さん」しなくちゃいけないの?
その意味ではまあ生き物としての母は死ぬまでだよね
そういうことは早ければ高校生ぐらいから呼び名はお母さんじゃなくなるそれも自然ということかな。
むしろ子供に、おい!とか、ねえ!とか、くそばばあ!とか、入れるようになったらお母さんって呼ばれていた時期に涙をする日が来るかもしれないよ
以上、夫婦トーク終わり。
まとめ
テーマは「お母さんと呼ばないで」夫婦で親の呼ばせ方のまとめです。
しんどい時は「お母さん」をやめたくなったり、呼ばれるのも嫌になったりすることもある。
でも、
●「お母さん」は、「ただの役割名」であって、「理想のお母さん像の押し付け」ではない
●「お母さん」って呼んでもらえるのも、実はあと少しなのかも
そう思うと、ちょっと気持ちが楽になった気がします。
読んで頂きありがとうございました。